ま え が き
プロローグ
は じ め に
黒田清隆の女子教育論と女子留学生
日本人少女のアメリカ留学
北海道開拓者の妻を養成する開拓使女学校
東京の英語女学生
一 女学校のはじまり
は じ め に
奥村喜三郎の「女学校発起之趣意書」
吉田松陰の女学校
『女大学』と節婦烈女と薙刀
豊岡藩と福山藩の女学校
松江藩と岩国藩の女学校
政府と新聞合流の東京女学校開設記事
官立東京女学校の斬新さ
竹橋女学校の教育
二 横浜と東京で女子の英語学習はじまる
は じ め に
ヘボン家塾からフェリス女学院と明治学院が生まれる
メリー・キダーと大江卓の巡り合いが〝女学校〟をつくる
フェリス・セミナリー開校
A六番女学校とカロザース夫人
B六番女学校から新栄女学校へ
原胤昭と原女学校
芳英社女学校と水交女塾
三 女紅場をめぐるさまざまな世相
は じ め に
メリヤス機械編の女紅場
勧工女紅場と手芸の女紅場
京都府の新英学校及女紅場
潤沢な資金でたてられた番組小学校と京都府中学
京都府勧業政策の一環としての女紅場
京都府上京三〇区・二九区の正貞女紅場
慶応義塾衣服仕立局と東京の普通女紅場
マリヤ・ルーズ号事件と娼芸妓解放令
京都祇園の女紅場と東京の千束村女紅場
四 国漢学系の女学校
は じ め に
東京下谷仲御徒町と奥原晴湖、日尾直子の女傑二人
明治のはじめの女学校長
跡見花蹊と跡見女学校
下田歌子と桃夭女塾
華族女学校開校
華族女学校の下田歌子
五 東京築地にできたミッション女学校
は じ め に
真言宗のお寺ではじまったキリスト教の女学校
築地の海岸女学校
米国メソジスト婦人外国伝道局
聖公会の立教女学校誕生
聖公会の日本伝道と教育活動
立教女学校・雛から成鳥への過程
六 神戸英和女学校、同志社女学校と函館遺愛、長崎活水の女学校
は じ め に
アメリカンボードのタルカット神戸ホームをたてる
神戸英和女学校となる
同志社の発端
同志社女学校はじまる
函館館の遺愛女学校と長崎の活水女学校
七 女子師範学校
は じ め に
官立東京女子師範学校開校
石川県の女子師範学校
秋田県の女子師範学校
師範学校女子部にいたる経緯
山梨県徽典館と岐阜県華陽学校の女子師範
明治十年代の東京女子師範学校
女子髙等師範学校の成立
八 中学校と並立する高等女学校の芽生え
は じ め に
栃木県第一女子中学校
群馬県と徳島県の女学校
京都府女学校と東京女子師範学校附属髙等女学校
桜井女学校のカリキュラム
女傑矢島楫子
髙等普通教育としての桜井女学校教則
九 裁縫手芸系の女学校
は じ め に
石川県金沢の女児小学
千葉県の「女児小学教則」と長南小学校、鶴舞小学校の裁縫授業
渡辺辰五郎と和洋裁縫伝習所
大阪府の女子手芸学校と堺県の女紅場・女校
共立女子職業学校と創立者宮川保全
初代校長・服部一三と補佐・手島精一
共立女子職業学校の授業
エピローグ